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「ガガ、ガッ」。餌を食う魚の反応がさおに伝わる。なかなか針掛かりせず、何度か格闘した末、釣り上げたのは体長10センチのハゼ。大井埠頭(ふとう)近くの京浜運河で今月、さおを出し、釣り雑誌にある通りの好ポイントと確認した。
「芝浦あたりも、もともとは豊穣(ほうじょう)の海でした」。船で水辺のガイドをしているNPO法人「水都東京を創る会」の早瀬仁人(よしと)理事長(65)が都心の海について教えてくれた。隅田川など流入する河川が多く、栄養が豊富なためだが、同時に土砂も運ばれるので水深が浅いことが東京湾の悩みの種だった。
東京都港湾局の「東京港史」によると、戦前の1920〜30年代、大型運搬船も湾奥までこられるよう横浜-東京間に航路を計画。掘削土で造る埋め立ての臨海工業地帯を通る航路として京浜運河も計画された。神奈川でほぼ完成したが、東京は39年の開削開始後、間もなく戦争が激化。あらためて戦後に計画が作られ、現状が形づくられた。
「(高度成長期を経た)70年代前半が一丸、川は汚れて魚もすめる状況ではなかった」と早瀬さん。当時と比べれば水質も良くなったと実感し、次の心地良い魚信を待った。(井上靖史)
紙面より一部抜粋(2022年8月14日発行 東京新聞朝刊)
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