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炎天下の駒沢通りから公園に入ると、ぐっと涼しくなった。高さ20メートル超、大人が抱えきれないほど太いケヤキの並木が続く。「オリンピックのころはこんな細かった」。駒沢町会会長の横井時惟(ときただ)さん(71)は、人さし指と親指で円をつくるしぐさをした。
管制塔とも呼ばれ、配電や給水施設が集められている高さ40メートルの記念塔は五重塔をイメージさせる。塔の隣に立つ八角形の大屋根が載る体育館は、法隆寺伽藍(がらん)の夢殿にもたとえられる。
ゴルフ場だった一帯は、1940年に予定された東京五輪の計画でメーン会場に選ばれた。それは、日中戦争の影響による開催権返上で幻となったが、64年の東京五輪で、レスリング、バレーボール、サッカー、ホッケーを行う第2会場に。日本が金メダルをとった女子バレー「東洋の魔女」の熱戦で、国民の記憶に「駒沢」の名が刻まれた。
都オリンピック施設建設事務所長の堀内亨一は建築専門誌「建築雑誌」(63年4月号)にこう記した。「あとあとまで東京大会を記念する運動公園として、都民に親しまれるものになることを念願している」。いま、ここは市民ランナーの聖地の一つ。五輪の遺産は、幻でなく、しっかりと市民生活に息づいている。 (小形佳奈)
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