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かつて武蔵野三大湧水池の一つとされ、起伏に富んだ土地を石神井川が流れる。その池と川を自然の要害として築かれたのが中世の平城・石神井城。当地を支配した豊島氏の居城だった。
1477(文明9)年、豊島氏が太田道灌との戦いに敗れたときの伝説が残る。落城を前に城主の豊島泰経(やすつね)は、家宝の黄金の鞍(くら)を載せた白馬にまたがり三宝寺池に身を沈める。悲嘆した泰経の娘、照姫も父の後を追い入水(じゅすい)する。
ただ、史実では泰経は平塚城(現在の北区)に逃れ、翌年に再び道灌と一戦を交えている。史料にも照姫に関する記述はない。矛盾する伝説はどうして生まれたのか。
「明治期の小説で広まった」。郷土史家の平田英二さん(61)の説明だ。石神井は首都近郊のオアシスとして観光人気が高まっていた。歴史ロマンがPRに使われたという。「静かに水をたたえる池の雰囲気にぴったりだった」
1933年には水路をせき止め、もう一つの池が造られた。いまはボート乗り場としてにぎわう石神井池だ。区民が照姫らに扮(ふん)する「照姫まつり」は街の恒例行事。今年も落城日の4月28日に行われた。父を思う娘の愛情に思いを馳(は)せながら多くの家族連れが参加した。 (竹島勇)
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