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「畑が主流で田んぼがないから田無?」「棚瀬から転じた説もあるよ」-。定説はないが、地名の由来を巡る話題がのぼることが多かった旧田無市。2001年に旧保谷市と合併し、西東京市となってからもそんな話を時折耳にする。
江戸時代、青梅街道の宿場町として栄えた田無が戦後、都市近郊のベッドタウンとして発展するきっかけは、1927(昭和2)年の田無駅開業だった。現在の西武新宿線東村山-高田馬場間の開通に伴うもので、当時の駅舎は現在より50メートル東側にあったという。
高度成長期以降、駅が呼び水となって宅地開発や公営住宅建設が相次ぎ、人口が増加。田無駅の1日当たりの乗降客数は7万5645人(2017年度)と、西武鉄道全92駅中で11位だ。
市の表玄関、駅北口の整備は95年の再開発ビルの完成、99年の駅舎建て替えで一段落した。再開発でビル内に店を移した老舗和菓子店「い志井」の3代目社長石井重夫さん(73)は「移転当時の商店街仲間は世代交代で減ってしまった。最近は郊外の大型商業施設との競争が激しい」と話す。 (花井勝規)
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